polnareff2006-04-20

 映画を何本か観る。クリント・イーストウッドザ・シークレット・サービス」とヤン・デ・ボン「スピード」はどちらも面白かった。そしてCSで黒沢清の「アカルイミライ」を観る。ぼくにとって黒沢清の作品はテレンス・マリックと同じく諸手を上げて降参状態である。さて本作は「CURE」の似た結末ながら、それを少年達に託したようなラストが清々しく気持ち良い。猛毒を持つアカクラゲ狂言回しに、まるで暗示と空虚と悲壮の感情をカットアップして一つのストーリーを分裂症的に語っていく。それは市井の人々の退廃及び家族再生であり、そのネジレと反転である。空疎な会話で交流する主役の二人(オダギリジョー藤竜也)が起こす社会へのアクションの、何と薄っぺらで無意味なものか。「ベルリン天使の詩」と「デッドゾーン」への言及では非ず、恐らくは何も起こらない「ボディスナッチャー」の感触。故に何らかのメッセージを伝えるラストが映えるのだ。やはり天才であり、理性の作家である。ゴダールからの影響を隠さず語れるところも偉い。