オブスキュア・メモリーズ・コレクティヴ

 曖昧な記憶を集める試行。OMCだ。ナンとなく上場企業っぽいではないか。
 さて、リレー小説「朱と砂 〜シュスナまつり」

 『朱と砂』
 ケタケタと竹立て掛けて谷駆けて、戯る水辺の滓魂模様。月と禊よ、我が穢れ流れ。邪霊ムンムンと瘴気漂う沼の畔に足を止め、男は着物の裾をからげて立小便をする。いつもより尿道が太くなったと思うくらいに勢いの良い熱流であった。その激流に逆らいながら昇ってくるものがある。小さなハゼのような形のそれは素早い動きでヌルリと男の鈴口より侵入していく。
「りゅん、りゅん」
男はそれを驚くこともなく身体に受け入れ、やがて裾を直しながら呟くのであった。
「もうシュスナまつりの年か」
それは夜の嘆息のように儚く、秋の虫にさえ聞こえぬぐらい小さな声であった。


「おーい、そろそろかかろうか?今年は雨が多かったんで見つけやすいと思うがのぉ」
 増水し鼠色に濁った川に、竹松は膝まで浸かって仕掛け網を広げ始めている。その声を聞きながら眉八は、自分が気持ちがささくれ立つのを感じていた。
「この場所は、この前のシュスナまつり。そう…もう三年も前になるのか。あいつを見てから。まったく奇妙な動きをするあいつが、この網にかかっていたのは」
 彼は悪い思い出を追い払うように、大きくかぶりを振って立ち上がり、すっかり準備を済ませた竹松に向かって訊ねるのであった。
「竹松。シュスナまつりについて、本当のことを教えてくれ。あいつは一体何だ?」
 困惑の表情で詰め寄ってくる眉八に、竹松も同じく困惑の色を隠せないでいる。
「おれもシュスナまつりのことは詳しくは分からん。しかしあいつは、三年に一遍だけ、この川に現れるあいつは、この世のものじゃない。それだけは確かだ」
 竹松は漁の道具を足元の木箱に納めながら、川の淀みに向かって語り出した。
 それは胴体に手足らしきものも見当たらず、ほぼ顔面部分のみの生物である。その顔面の特徴を挙げれば、禿げ上がったような頭部の下には、飛び出た二つの大きな眼球が常にギョロギョロと動き、その狭間で鼻梁は大きな返しが付いた矢のように天を射している。口腔内には全く歯は生えておらず、周辺には大きなホクロのようなものが付着している。長い年月を刻んだような飴色の皮膚は脂肪のせいか老木の樹皮のような皺とざんばらに生えた長い髭に覆われている。
 吐き捨てるように語る竹松に、眉八も遂に腰を据えて詰め寄った。
「やけに詳しいが、おまえ見たのか?」 
「見たよ」
「ほんとか?」
「うそーーっ!」
 竹松は茶目っ気たっぷりに微笑みながらペロリと舌を見せて立ち上がった。眉八は自分より年嵩の竹松が、そんな仕草をするのを嬉しく思いながら、さっきまで胸にわだかまっていた迷いが瞬時に晴れていくのを感じていた。
「日も傾いてきたことだし、明日にするか」
 竹松は背中を向けたまま帰り支度を始めている。
「今年のシュスナまつりは気ばらんとな」
 そう言いながら、もう竹松は土手を登り始めていた。その背中を見やりつつ眉八は鼻先に夕映えを捉えて、ひとりごちるのであった。
「これがあいつらの道しるべになるんだ」
 二人の住む村に、そろそろと薄闇が迫ってきている。竹松が砂に描いた長い影法師がゆらゆらと揺れながら、遠くへ去って行く。舌を垂らしながら家路を急ぐ彼のことを今は誰も気にかけていない。


 地蔵辻の傍、竹松の住む小さな家は夕闇に濃く支配され建っていた。
「今、戻ったぞい。と言っても誰もおらんわな」
 戸口で大きく呟く。かぶりを振りながら戸に手を掛けようとした刹那、彼は何かの気配を感じ、全身を強ばらせた。
「つるんっ!!」
振り向いた竹松の前に、珍しく出現言葉で現れたのは貝取り名人の毛松だった。愉快な男だ。今日は真っ赤な手拭いを頬かむりしている。
「久しぶりやのぉー、どうしてるつるん?」
茶の間に座った毛松に、竹松は珈琲豆茶を淹れながら訊ねると、彼は小さくカックんっと頷く。
「どうしてつるん? 毛ぇ松、何の用件か、言うてみるつるん」
毛松は黙ったまま、じっと竹松を見据えて、頬かむりにかぶっていた手拭いを取るのであった。
「竹松ぅ、どないしたらええねん。ワイ、こんなになってしもうたぁ」
その声も涙混じりに訴える毛松の頭部を見て、竹松は思わず口にしていた珈琲豆茶を噴き出す。そこには小さな砂漠が広がっているのであった。一面、薄紅色の砂を敷き詰めた箱庭の如きものが、彼の頭頂部に出現したと言った方が良いであろう。
「しかし見事な砂漠やなあ。作物は何一つ育たんやろな」
 ようやくひと息ついた竹松は、しげしげと毛松の頭頂を仰ぎながら呟く。毛松の目から涙が溢れ出た。
「ワイは一生このままなんやろか?」
小さな丸い卓袱台の縁、強く握った手の甲を彼の涙が濡らしていく。
「これはシュスナまつりと関係があるかも知れんな。この時期は色々な不思議が起こると言うからな」
しばらく顎を撫でながら考える風であった竹松、ようやく何か思い出したのか、「…こういった超自然現象や天変地異に詳しい男が川向こうに住んでいるから、そいつに相談してみるか」
「ほんまけ。早よ行こ早よ。善は急げや言うやんけ」
 もう居ても立っても居られない様子の毛松であるが、竹松にはその前に確かめておきたいことがあるらしく、
「まぁそないに慌てんと。珈琲豆茶でも飲んで落ち着きなさい」
毛松を片手で制して、二人の茶碗に珈琲豆茶を新しく注ぎ足した。
「先程から観察していたが、お前が頷こうが、首を振ろうが、その砂がこぼれないのは何故や」
 虚屯とした表情の毛松、頭を二、三度左右に振って、次いで前後に激しく振るが、頭頂の箱庭砂丘から塵一つこぼれる事無く、砂丘の乱れる様子も無い。砂紋さえ微動だにせず、静かに時間を停めて其処に在るままであった。
(つづく)

次、誰かバトンを受け取って下さい。
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