秘境は影法師を闇に、豊饒を怪物に変え

polnareff2005-10-11

 克己メンバーから詩人西条八十の「トミノの地獄」に関するメールが届く。また最近、流行ってきたみたいですな。その流れでコトリバコがエライことになってるのを知る。両面宿儺のミイラが発見されてパニックになったことまでは知ってたけど、そこから登場したのが大正時代の超カルト教団の教祖・物部天獄やて、怖いわぁ。押絵ではなく木箱を携えて日本滅亡の呪法を唱えて放浪したとは驚愕。

 さて「トミノの地獄」とは、学者の四方田犬彦が著書にて音読すれば凶事が起こる忌まわしの詩歌と紹介して以来、寺山修司が朗読して間もなく死亡したという噂も現われて、今やすっかり都市伝説となっている詩である。

姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。叩けや叩けやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯に。皮の嚢(ふくろ)にゃいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、くらい地獄谷七曲り。籠にや鶯、車にゃ羊、可愛いトミノの眼にや涙。啼けよ、鶯、林の雨に妹恋しと声かぎり。啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山の留針(とめばり)を。赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。

 色彩と叙情の二つのコントラストが心地良いリズムで紡がれていくが、しかし紛れもない怪作である。この怪作に魅かれた者も数多く、寺山修司もその一人である。天井桟敷の女優蘭妖子に贈った詩「惜春鳥」にその一節を引用し、「人生処方詩集」にて幼年時代の幻想コラージュと紹介している。恐らくこの辺りから寺山の名前が挙がったのであろう。同じく「トミノの地獄」を引用・紹介した皆川博子(「聖女の島」)や久世光彦(「怖い絵」)が故人ならば、また違った噂が生まれたであろう。
 元来、怪談とはハンドメイドでコピーされた時間と空間である。故にそれは二極に分かれて、人々の判断に委ねられていたものである。しかし現代の伝説や噂は、たとえ与太から発生したものであろうとも怪談を成立させてしまうのだ。それはメディアの進化によって寸分の狂いもなく観念をコピーするのを可能したからである。観念は虚構の概念を持たぬ故に真実であり、人々の無自覚故に現実的なものである。そして精緻なコピー技術は観念の副産物として情報を提供する。観念的なものは情報によって体裁を整えながら、時には一人歩きを助け、時にはまことしやかに語られるのを助けて怪談を成立させるのだ。
 以上、ナンとなく抽象的な物言いで日本の音楽業界を批判しているつもりです。Akita Folklore/Okosa-Tune


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