お前、瞳をつぶされて、呪われた砂漠の土くれよ

polnareff2005-09-16

「虚無王通信 一」

虚無の王とは何か。即ち虚無を支配する王であり、またそれに非ず。見てしまったことへの呪いを支配し、そして夜の訪いを識る盲人の闇を支配する。かれは玉座より人々の無能と無自覚を睥睨し、愚鈍と曖昧を召喚する。風に弄ばれる砂の慄えに聞こえるものは、果たしてそれは空洞の頭蓋を渡る響きか、暗黒の豊饒を語る歌か。と今回はここまで。

「幻想のホンさま①」

古書店にてミッキー・ダイクス「裸のランチ」を見つけ購入、百円。1972年戸山書房発行の禁断の文学シリーズの一つ。ウィリアム・バロウズの同名作品であろうと読み始めれば、冒頭の「猫の目の輝きはランチの中の卵である」から怪しく、次頁の「わたしはシモンという少女と出逢う」なる一文で諒解、どういった経過があったのか知らないが、これはジョルジュ・バタイユ眼球譚」であった。生田耕作の訳しか知らぬ僕は、しかし面白く興奮のうちに読了。点数は、3ムズムズ

「日本語ではなそう①」

女:おはようございます。朝から精が出ますね
男:いいえ。それは牛乳ですよ

「テレビとアルコールの虜9月16日記」

本日より例のアレが始まる。強烈な頭痛で昏睡。寝起きにビデオで「テレビのチカラ」、その後「暴れん坊将軍」、カネカネカネと呟きながら全世界を呪う内に気絶。スミマセン、今日は誰とも会いません。きれいなおねいさんとモグラ叩きする夢を見ます。

「ヒアーナッシング・シーナッシング・セイナッシング87」

今回のヒアー・ナッシングは、1970年に発表されたスプーキー・トゥースピエール・アンリの共演盤「セレモニー」より。ブリティッシュ・ハードロックバンドとミュージック・コンクレートの第一人者とが、まさしく奇跡の出会いを果たした本作を相殺アルバムと言う者も多いが、この意味不明な隔絶には現在最も必要な斬新と破綻が息潜めている。或いは正統なるダダイズムの継承と呼ぶべきものかも知れない。音楽に必要なのは、クオリティの高さでも、人々の賞賛でもないのだ。それが魔であれ、慶びであれ、ただ日常の裂け目であれば良いだけなのに。
Hear Nothing,See Nothing,Say Nothing/87
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