はじめての海外旅行の思い出①

polnareff2005-09-02

ひょんなことから初めての海外旅行のことを思い出した。海外と言っても東南アジアしか知らぬ僕である。前妻パニック姐さんとの生活に暗雲が見え始めた24歳の頃のこと、音楽業界の先輩O氏から聞くパンク・ニューウェーブの現場報告は刺激的、かつ示唆に富んでおり、僕は彼の話をいつも胸ときめかせて耳傾けていた。時は1990年初頭、時代はロックの死骸を弄び始めて、退屈の季節に相応しく、だからこそO氏の話は過去の記憶ながらも余りに生々しかったのだ。その刺激に奮い立つ僕はとうとう「ジャマイカへ行こう、ジャマイカへ連れて行って」とシュプレヒコールを上げ始める始末であったが、O氏言うに「お前のような田舎者がジャマイカへ行って何を学ぶものがあろうか」と地球儀を取り出し、「もっと分かりやすくジャマイカの現状を実感出来る場所がある」とジャマイカを指差しながら、緯度線に沿って地球儀を半周させてフィリピンのマニラに指先を止めた。「ここがお前にとってのジャマイカだ。緯度が同じならば季節も変わらないだろう」と強引な偏見の論理は、マルコス革命の後、アキノ政権も三年目を迎えた春の日に僕をマニラ国際空港へと降り立たせたのであった。いま思い出しても、その時の驚きと光景は表現に尽くし難い。初めて目にした外国は、巨大なる貧しさの歓声であった。それは人間の複雑な感情を氾濫に隠した、ただのっぺりした貧しさの音塊として、金網を揺らしながら痙攣していた。空港のゲートを出れば、既にそこには雑踏とスラムの匂いが充満した娑婆が横たわり、蠕動するような視線だけが僕に注がれている。O氏は大声で僕にこう言った。「これが歴史上、世界にファックされてきた国の玄関口だ」と。空港内のいたる場所にて何することもなく佇む現地人の群れ。「よく見て覚えておけ。ここに居る男どもの顔つきこそ、この国の現状である」と。それはスラムが洩らした腐臭を嗅ぎ分けて、好奇と悪意の氾濫を直観させるに余りあるものであった。「さてパンクロックとは、お前にとって何であるのか」と彼は僕にこう尋ねるのであった。続く。
ポルナレフ先生の旅行記が読めるのはこの頁だけ)
Judy Henske/Love Henry