金の亡者を名乗る者、そして双頭犬を語る僕たち

polnareff2005-07-30

今夜、今北君に教えてもらった曲、1972年に大ヒットしたOsmonds/Crazy Horsesにビックリ、ミクスチャーやらクロスオーヴァーなどの物言いが音楽に不要であることを雄弁に語っている。
ベアーズへ、スガッチャンセッション、アイシー40、ウルトラファッカーズのライブを観に行く。フジロックに出演の山本君が不在なので、思う存分に羽を伸ばすことが出来る、ウッシッシ。リハ終了後、ナオト君らに、山田五郎のようになった久し振りの小玉君、そして十五年振りのサム・ローマンらと居酒屋へ赴き、逆打ち上げでメートルを上げての音楽議論、サムは現在、Cash Slaveなるユニットで活動中で、近々米のレーベルSounds From The Pocketsからアルバムをリリース予定との事、プレゼントしてもらったCDRを聴けば、意味不明の暴力衝動に満ちた暗黒アンビエント、これは業としか思えぬが、リサ・サックドッグを紹介してくれる約束を忘れずにいた彼に涙。まぁそんなこんなで本番開始までに泥酔。
スガッチャンセッションのフリーダム・フリー。アシュラテンペルの四枚目辺りか、ホークウィンドか、モウブサイドショウかとの僕の予期は全くに裏切られ、しかし予期は全く裏切られることなく、その音楽は新鮮な衝撃に満ちていた。各人のパーソナリティや能力などを最大限に有効活用させて、更なる実験的なアプローチとフリーセッションを加えた演奏から、何故に稀有な音楽が生まれたのか。恐らく理由はこうであろう。各人の独善的なアレンジとアプローチによる構成、そして化学反応的展開を排除したフリーセッション、それら二つの要素が導き出した多様性と規律性によって奥行きの深い開放感と奇妙で複雑な立体感を生み出したに違いない。あらかじめコンセプチュアルな背骨を持つ音楽、その好例がこれである。そこには発狂寸前の緊張感を以って演奏するアールゾワイが、コズミックジョーカーを痺れるような重さで再現したような反転世界があるのだ。僕は妄想の切れ切れにその音楽を確かに聴いたのである。
そして今回もテーブルマジックならぬコンソールマジックのライブだと言うアイシー40は、エイフェックス・ツインと最盛期のマウリチオ・ビアンキミッシング・リンクである。音楽を愛する者だけに理解される稀有な存在。テクノとしか言いようの無い音楽。そして主催の河合君率いるウルトラファッカーズは、途中何度か退場した故に言を控えるが今北君のレジデンツの日本的発展という感想が最も正鵠を射ている。終演後、河合君にウルトラ・ファッカーズのバッジをもらい、感謝。
小玉君と僕の永遠のアイドル、ロッキー・エリクソンについての話をする。二人共が一家言持つロッキー・エリクソン研究者、これ幸いと僕は13フロアー自論をのたまい、最近の彼の元気の無さを嘆くと、来日ツアーをいつの日にか実現したい旨を耳にして、しばし感動。しかしジム・フィータスやキャロライナーと同様に考えてはならぬ、廃人の来日は一体実現可能なのだろうか。その上マネージャーがマンソン・ファミリーだもんね。その後、ゴールデンファッジケーキでXOYOの面々と深更までぶつぶつと会合の後、ホンジョウさんに車で自宅まで、お疲れ様でした。
Cash Slave/Track 03 From Clique