PANTS FOR FIGHT

 外泊するから勝負パンツとは此れ如何に。その勝負○○の「勝負」とは一体何に雌雄を決することなのだろう。小説や歌の題材に使用されることも多い、この勝敗の概念を過去の歌謡ロックのヒット曲を例証に考察する。歌は世に連れに倣って謎の勝負ソングの浅い歴史を紐解けば、その端を発するものは世良公則&ツイスト「銃爪(ひきがね)」であろう。フェミニズム一辺倒の歌謡ロック界に世良が投げた一石、この「今夜こそ落としてみせる」宣言や後発の「性(さが)」で歌われた「うおううおう」の耐え切れぬ悲鳴には「あら乱暴にしないでおくれよ」と夜鷹の台詞も聞こえ、垣間見えるはモジャモジャの毛ボコリの風が吹きすさぶ強制合体状況か、まるで七十年代のストーンズのようなヴァイオレント・ラヴの小景には、何の民主国家かと憤る人も多かったであろう。市川房江や中ピ連の時代を経て、「女はいつも泣いてばかり」とボブ・マーリーも語り、平和とメッセージの時代へと傾斜したのは当然の理であった。
 そんな出る杭は打たれる諦念にプシガンガな時代に現れたのがバービーボーイズである。大ヒット曲「負けるもんか」で歌われていた「勝負」とは、男は己の欲望や誘惑と戦い、女は誘惑フェロモン噴射にて男の理性と戦うといった、うらはらな丁々発止。それはまさしくサイキックウォーの先鞭を呈していた。いつもの病気再発と訝しがる向きも想定内で述べれば、只今、現実世界で行われている征服戦争の進化形態を示唆したかに思えてしまうのは、少々何かやり過ぎかも知れないが。しかし恐らくロック歌謡史に於いて、この「負けるもんか」は互いに戦う男女が登場した初めての歌であろう。それは音楽に肉声を迎合する時代の到来に他ならない。日本女性の美徳を慎ましやかさ、貞淑さを掲げてきた我が国の男性が、欧州気取りで「しかし夜は娼婦のように」な理想をバラックの一杯呑み屋で増長させる内に、反して女性は「亭主元気で留守がいい」と追随を許さぬ洒落たヒジ鉄の応酬から小池真理子サスペンスを現実化したような停年離婚といったバックステップから放つ幻の右カウンターまで技の百花繚乱を見て、ようやく男はカエル跳びしか出来ぬことに気付くのである。女性の存在そのものの真なる向上と将来の逆転は充分予期出来たのだが、父は永遠に孤独であり、男は永遠にあしたのジョーである。
 そして満を持して登場したのが、一時代昔の悪女の構図をグループ構成にしたシャブ中一名在籍のドリーム・カムズ・トゥルー、ドリカムであった。彼らのヒット曲「決戦は金曜日」で歌われている野放図振りは押し出されたり膨れ上がったりとバブル時代を象徴しながらもセックス色濃い春歌の如き曲である。くんずほぐれつな肉弾戦を敢えて「勝負」と呼ぶ新感覚の萌芽は、戦後民主主義社会のアメリカナイズ完成を伝えているのだ。それはベイシティ・ローラーズ「恋のゲーム」を聴いて、ヌメヌメ湿地のにゅるぽんスポーツ大会を、またフォークソングの名曲、ジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」を聴いて、握るものを間違えた男だらけの発電所ゲームをイメージさせるようなゲーム感覚の時代到来を告げている。
 それから十数年、日本経済の悪化に影響され、全ての側面に於いて多様化を進めてきた我が国では、問題の勝負○○なる流行語でさえ、共通認識を越えた含蓄を欲する傾向を見せ始めたのである。その語彙に秘められた意味は、相互の拒否権の在りか、或いはシグナル・暗号を示す者も居れば、人間性バロメーターをそこに読む者も居り、無味浅薄なゲームツールと認識する者も居よう。近年には負けだけを徹底的に攻撃排除する民主主義の反動ファシズムの姿も露骨に現れ始め、比して「君子危うきに近寄らず」なニートの発生にも原因している。否、重要なのは前提の「勝負」に負けてはならないだけであって、「勝負しなければ負けも無い」とんち問答も通用するのであるのか。是ぞまさしくボノボの精神也。ニャア